初夏めいて来ました。黒々白々です。
暑さも増し増しになって来た今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
私は最近になって、初心に戻ろうと感じました。
正味、こんなんでいいのか、と自問自答を繰り返した結果、駄目だろうということで、努力することにします。
とか言ってますけど、何を努力するんだろう、っていうか何度か努力しますって宣言したような気がするんですが。まぁ、毎度のことなんで、三日坊主にならんように頑張ろう。
さて、私はリアルで何をしているか、意図的に書いてませんでしたが、もう晒しちゃおうと思います。
そういうこともブログに書いたほうがネタに困らない良い勉強になりそうなので。
私は、介護の学生をやっております。夜学ですけど。
まぁ仕事やりながら学校行って、勉強してるんです。ようやく今年三年目で、残すところ後一年という僅かな時を過ごせば、念願の介護福祉士の資格を得ることができます。
だけど、それってどうなんだろうって考えました。
私は三年間、デイサービス、所謂、通所介助の仕事をさせて頂きながら、学校に通い技術や知識を学んでいます。現場ってのを経験しながら、学校行っているから、技術とか知識とか身に付いている、つもりですけど、全然足りません。
私には、技術も知識も全く足りません。
仕事をさせていただいている中、本当に自己嫌悪に陥ります。
利用者様に何が出来ているのだろう、本当にコレでいいのか、そんな葛藤ばっかり考えて、
アホみたいに悩んでおりますが、
それに対して、何か改善しようとか、復習しようとかいうことをしてきませんでした。
ただ漫然と、学校と仕事と生活をこなしてきて、気付けば、残り後一年で卒業。
プロという名を得るわけですが、今のままじゃ足りない。
だからもっと勉強しようと思います。
今更なんですけど、初心を忘れていたことに気付いたのは、ある本が切欠でして。
漫画なのですが、ヘルプマンという介護のお話を題材にしたものです。
母親から薦められていたのですが、機会がなかったので、全く読んでませんでした。
しかし、学校の授業の最中、教材として配られて、少しだけ読んで、気付いた時には、全冊買っていたという罠。で、全冊一気に読んでしまったいたという不思議。
久しぶりに、心臓に一撃喰らったような気はしなかったものの、目頭は熱くなったんですが涙は流れなかったという。でも、過去を思い出すには十分なもんです。
痴呆、今で言う認知症の曾祖母が居た時、まだ中学も二年か三年のこと。
私の家には、祖母と曾祖母と二人が居て、ちっちゃいばあちゃん、おっきいばあちゃんと子供の頃から呼んでいたのを記憶しています。
二人とも本当に優しい人で、おばあちゃんっ子だった私には、かけがえのない家族だったはずなのですけど、曾祖母が認知症になるや、その関係もどんどんひび割れていきました。
曾祖母は本当にしっかりした人で、高齢だったにも関わらず、朝から乳母車を押して晩方まで畑に行くような人だった半面、ショックが大きかったんでしょう。
認知症の引き金は、転倒による大腿部頚部骨折。
それによって、呆けが進み、行動障害も多々見られるようになりました。
祖母は、手はあげることはないものの、罵倒や暴言が多くなって、聞くに堪えないようなものばかり、私は、そこまで言わなくてもいいのに、と感じていただけで、何も言えなかったのが恥ずかしいもんです。
知らず知らず、というよりは、自然と、私は遊び盛りなので、
家のことなどおかまいなしに遊び呆けていた頃、
冬場だったでしょうか。
曾祖母が玄関に座り込んで、寒そうにしてしたのです。
おっきいばあちゃんどうしたのって言っても、なにも返事はしなかったんで、手に触れてみました。
大抵、高齢な方の手は冷たい、って言う決め付けはよくないんですけど、経験上多いかなと思うのですが、曾祖母も例に漏れることなく手が冷たかったのです。
何時の間に、こんなにも冷たい手になったんだろう。
なんとかしなければと考えて、
丁度、台所のストーブが点いていたので、それの前でタオルを広げ暖めて、曾祖母の手に包みました。
ごしごしと暖めるように、何度も手を動かして、そうしたら、小さな声で、私を見つめて、ありがとうって、おっきいばあちゃんが涙を流したのを今でも忘れない。
それから、おっきいばあちゃんが昔のことを嬉しそうに話してくれて、笑顔をみせてくれたことも、一生忘れない。
だけど、結局、それっきり、曾祖母との関わりがなくなってしまいました。
さらに認知が進み、足も悪くなって歩行もままならず、寝たきりを余儀なくされてから、私は一度も曾祖母の部屋を訪れず、自分のことだけを考えて生きていました。馬鹿野郎です。
気付いたときには、既に亡くなってました。
家族の死を初めて体験して、涙して、何もできなかったことに後悔して、介護福祉士を目指そうと思ったんです。
私は今、初心へと帰りました。
だから、また頑張ろうと思います。
あの時のことを忘れずに。
さて、そろそろ、書きたいことも書いてすっきりしたところで、三日坊主にならないように勉強していこうと思います。
では、皆さんも、決して後悔することなく、家族の介護を行ってください。
介護をするってのは、大変なことだって、勉強して、携わって、本当に理解してるつもりです。
分かったふりをしているのかもしれないですけど、でも、これだけは言いたいです。
家族って、すげー絆が深くて、かけがえないもんだから、可能なら、家族介護が一番だって思う。
私は子供で何もできなかった。だから、余計そう思うんですけど。
その人がその人らしく生きるってのは、家族が在るなら、家族が側に在ることが、その人らしい生き方じゃあないかって勝手に思ってます。
自意識過剰なんかもですけど、まぁ、後悔だけはしないでください。
では、長くなりましたが、この辺で。
グッド、ってのはよします。
暑さも増し増しになって来た今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
私は最近になって、初心に戻ろうと感じました。
正味、こんなんでいいのか、と自問自答を繰り返した結果、駄目だろうということで、努力することにします。
とか言ってますけど、何を努力するんだろう、っていうか何度か努力しますって宣言したような気がするんですが。まぁ、毎度のことなんで、三日坊主にならんように頑張ろう。
さて、私はリアルで何をしているか、意図的に書いてませんでしたが、もう晒しちゃおうと思います。
そういうこともブログに書いたほうが
私は、介護の学生をやっております。夜学ですけど。
まぁ仕事やりながら学校行って、勉強してるんです。ようやく今年三年目で、残すところ後一年という僅かな時を過ごせば、念願の介護福祉士の資格を得ることができます。
だけど、それってどうなんだろうって考えました。
私は三年間、デイサービス、所謂、通所介助の仕事をさせて頂きながら、学校に通い技術や知識を学んでいます。現場ってのを経験しながら、学校行っているから、技術とか知識とか身に付いている、つもりですけど、全然足りません。
私には、技術も知識も全く足りません。
仕事をさせていただいている中、本当に自己嫌悪に陥ります。
利用者様に何が出来ているのだろう、本当にコレでいいのか、そんな葛藤ばっかり考えて、
アホみたいに悩んでおりますが、
それに対して、何か改善しようとか、復習しようとかいうことをしてきませんでした。
ただ漫然と、学校と仕事と生活をこなしてきて、気付けば、残り後一年で卒業。
プロという名を得るわけですが、今のままじゃ足りない。
だからもっと勉強しようと思います。
今更なんですけど、初心を忘れていたことに気付いたのは、ある本が切欠でして。
漫画なのですが、ヘルプマンという介護のお話を題材にしたものです。
母親から薦められていたのですが、機会がなかったので、全く読んでませんでした。
しかし、学校の授業の最中、教材として配られて、少しだけ読んで、気付いた時には、全冊買っていたという罠。で、全冊一気に読んでしまったいたという不思議。
久しぶりに、心臓に一撃喰らったような気はしなかったものの、目頭は熱くなったんですが涙は流れなかったという。でも、過去を思い出すには十分なもんです。
痴呆、今で言う認知症の曾祖母が居た時、まだ中学も二年か三年のこと。
私の家には、祖母と曾祖母と二人が居て、ちっちゃいばあちゃん、おっきいばあちゃんと子供の頃から呼んでいたのを記憶しています。
二人とも本当に優しい人で、おばあちゃんっ子だった私には、かけがえのない家族だったはずなのですけど、曾祖母が認知症になるや、その関係もどんどんひび割れていきました。
曾祖母は本当にしっかりした人で、高齢だったにも関わらず、朝から乳母車を押して晩方まで畑に行くような人だった半面、ショックが大きかったんでしょう。
認知症の引き金は、転倒による大腿部頚部骨折。
それによって、呆けが進み、行動障害も多々見られるようになりました。
祖母は、手はあげることはないものの、罵倒や暴言が多くなって、聞くに堪えないようなものばかり、私は、そこまで言わなくてもいいのに、と感じていただけで、何も言えなかったのが恥ずかしいもんです。
知らず知らず、というよりは、自然と、私は遊び盛りなので、
家のことなどおかまいなしに遊び呆けていた頃、
冬場だったでしょうか。
曾祖母が玄関に座り込んで、寒そうにしてしたのです。
おっきいばあちゃんどうしたのって言っても、なにも返事はしなかったんで、手に触れてみました。
大抵、高齢な方の手は冷たい、って言う決め付けはよくないんですけど、経験上多いかなと思うのですが、曾祖母も例に漏れることなく手が冷たかったのです。
何時の間に、こんなにも冷たい手になったんだろう。
なんとかしなければと考えて、
丁度、台所のストーブが点いていたので、それの前でタオルを広げ暖めて、曾祖母の手に包みました。
ごしごしと暖めるように、何度も手を動かして、そうしたら、小さな声で、私を見つめて、ありがとうって、おっきいばあちゃんが涙を流したのを今でも忘れない。
それから、おっきいばあちゃんが昔のことを嬉しそうに話してくれて、笑顔をみせてくれたことも、一生忘れない。
だけど、結局、それっきり、曾祖母との関わりがなくなってしまいました。
さらに認知が進み、足も悪くなって歩行もままならず、寝たきりを余儀なくされてから、私は一度も曾祖母の部屋を訪れず、自分のことだけを考えて生きていました。馬鹿野郎です。
気付いたときには、既に亡くなってました。
家族の死を初めて体験して、涙して、何もできなかったことに後悔して、介護福祉士を目指そうと思ったんです。
私は今、初心へと帰りました。
だから、また頑張ろうと思います。
あの時のことを忘れずに。
さて、そろそろ、書きたいことも書いてすっきりしたところで、三日坊主にならないように勉強していこうと思います。
では、皆さんも、決して後悔することなく、家族の介護を行ってください。
介護をするってのは、大変なことだって、勉強して、携わって、本当に理解してるつもりです。
分かったふりをしているのかもしれないですけど、でも、これだけは言いたいです。
家族って、すげー絆が深くて、かけがえないもんだから、可能なら、家族介護が一番だって思う。
私は子供で何もできなかった。だから、余計そう思うんですけど。
その人がその人らしく生きるってのは、家族が在るなら、家族が側に在ることが、その人らしい生き方じゃあないかって勝手に思ってます。
自意識過剰なんかもですけど、まぁ、後悔だけはしないでください。
では、長くなりましたが、この辺で。
グッド、ってのはよします。

